ゆみな~ぶろ

もうすぐ子育て終わろうとしている50代アルバイト主婦。女と人生を諦めないをモットーに自分模索中。酒好きなのでお酒の事も書くと思う

がんになってわかったこと「乳がん」闘病記

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今ようやく再建の手術が終わりました。
長かったなあ~でもこれからもまた来るかもしれないな・・
という恐怖感は未だにあります。

 

  • 乳がんと告知された流れ
  • がんへの差別感と失うものに対する恐れ
  • 乳がん手術までと術後の喪失感
  • 再建手術に向けて
  • ふりかえってみて

 

乳がんと告知された流れ

がんになったよ!
がーん!!なんて小さいころ言ってましたが、初めそれを知ったときは冗談ではすまされないくらいショックでした。

 

人間ドックのマンモグラフィーで数年前から、少しずつ兆候が見え始めていたのですが、
子供におっぱいをあげはじめていた時から、ずっと乳腺炎だったので大丈夫だろうな?ぐらいに軽く思っていました。

 

ところが去年くらいから再検査の通知が来るようになり、近くの乳がんで有名な病院に検査に行くようになりました。
石灰化が見られるということで、再度マンモグラフィーを撮ったものの、なんとも怪しげな画像だけではっきりとした診断が下せませんでした。

石灰化とは
石灰化とはカルシウムが沈着することで、エックス線写真では白い砂粒のように映し出されます。
入管内で増殖したがんの中心部が窒息死したり、がん細胞からの分泌物がたまったりすると石灰化が生じます。

 

その半年後?にまた再検査をしたところ、
「やはり何となく怪しいのでもっと詳しい検査をさせてほしい」
と先生に言われ、
「え?先生いいですよ~そんなに疑わしいですか?」

と、がんになりたくない私は検査をしたくありませんでした。

しかし、先生の説得に押されて詳しい検査をすることにしました。

詳しい検査とは?(細胞診)
しこりに細い針を刺して、注射器で吸い取った細胞を顕微鏡で観察する。
簡便で、体の負担は小さいが、この結果だけではがんかどうかの診断はつきにくい。


詳しい検査で2週間待ちました。この2週間は生きた心地がしませんでした。
そして、結果は陰性でした。やったーと思いましたが、先生が・・

ごめんなさい。やはり納得出来ないのでもうちょっと調べさせてくださいませんか?
と言ってきました。もうこの時自分の中では半分諦めていました。

毎日何十人と患者さんを診ている先生が言うのだから、かなり怪しいに違いないと・・
私は、更に大きな細胞を取る検査を受けることにしました。(この段階で細胞診に異常がないのにさらに組織診をすることはまれみたいです。それくらい画像が怪しかったらしいです。)

大きな細胞診とは?(組織診)
細胞診より太い針を刺し、細胞を塊で採取して顕微鏡で調べる。
情報量が多く、より正確な診断が出来るが、局所麻酔が必要で、体への負担は細胞診より大きい。

 

前回の検査よりも、大きい針でお肉を取るので麻酔が必要でした。ピンポイントで何回も取りました。
費用もかかるので、結構精神的にも肉体的にも辛い検査でした。

 

そしてまた2週間待つことの辛いこと・・・でも半分諦めていたので、というかこの頃は最悪の方しか考えなくなっていました。
考えてもしょうがなかったし、悪いほうに考えていたほうがショックが少ないと思ったのです。

結果は陽性でした。

 

父親は胃癌になっていたこともあったので、取れば治るのはわかっていました。
しかも自分はステージが限りなく低い。(限りなく0に近いステージ1でした。)

nyuugan-plaza.com

 

がんへの差別感と失うものに対する恐れ

でも、がんは別の世界のものだと思っていたので、いざ自分がなってみるとがんに対する差別感が凄かったということに気づきました。

 

数年前にがんのクリニックでバイトしていました。沢山のがん患者さんが来ました。
みんな藁をもつかむように最後の手段でがんを追い出そうとしていました。

 

自分はならない。という意味の分からない確信があったと思います。
人間は失ってみないとわからない生き物なんだなとつくづく感じます。

 

失って初めてその意味がわかるのです。いかに大事なものだったかを・・

 

幸いなことに私は結婚をし、子供も産んで育て上げたあとだったので、これがもし結婚前だったら?子供を産む前だったら?
私よりもっともっと辛いと思います。

 

だけど、何故この時期に!?という憤りもありました。子供に一番お金が掛かる時期だったので、もっと働こうと思っていたのです。
まあ20代、30代より40代、50代の方が乳がんに掛かる確率が高いことは知っていたので、しょうがないかな・・って

 

乳がん手術までと術後の喪失感

手術までの日々は、まあ飲みに行ったり、周りがびっくりしたり、がんばってね!!と励まして頂いたりしてましたが、
私には次の不安がありました。術後の治療についてです。取ってみないと転移しているかはっきりとはわからないのです。

 

ある程度はMRIとかでわかりますが、リンパに転移しているかは取ってみないとわかりません。
全摘はあまりショックではありませんでしたが・・

 

一番つらそうだな・・と感じたのは、抗がん剤治療になったら?ということでした。
髪が抜けるのもそうですが、それより抗がん剤治療をしながら働けるのか?という不安でした。

 

もうこれは経験した人に聞くしかないと聞いたりもしてました。情報を入れることによって少し安心できました。

 

いざ手術の日が近づくと、色々不安定になって知り合いに話を聞いてもらったり、愚痴をこぼしていましたが、とても心強かったです。
また、今までの自分のおっぱいに対する思いがこみあげてきました。子供にお乳をあげた事など思い出し、頑張ったねって涙が出てきました。

 

手術当日は、「怖い!!」ひたすら怖い・・の繰り返しで、気持ちとしては
親亀が子供を産みに一匹で陸に上がり、そして産み終わると一匹で海に帰っていく、そして最後を迎える?
というような気持でした。まあそんな感じで一人で手術室に向かいました。

 

喪失感・・
全身麻酔から覚めるとベッドの上でした。身体中の痛みと共に左上半分の自分の身体が無くなったように感じました。
無くなったんだ・・としみじみ思いました。きっと巨乳の人だったらもっとそう思ったことでしょう。

 

再建手術に向けて 

その後回復してきた頃を見計らって、再建のために胸筋の下に入っていたエキスパンダーに水を入れてもらうようになりました。
そうすると、水なのですが、ふくらむので気持ち的に少し嬉しくなりました(*'ω'*)

エキスパンダーとは?
袋状の組織拡張器で、そ再建手術に向けての中に生理食塩水を徐々に注入して皮膚を伸ばしていきます。

 

一番心配していた、術後の治療はリンパに転移していなかったので、ホルモン治療のみとなりました。
髪も切ってすっかりカツラを買う気になっていた私でしたが、抗がん剤治療をしなくて済むのは本当に助かりました。

 

エキスパンダーの水を入れ続け、MAXまで入れられ日々ムネが重い生活を送っていたのですが、このたび半年待たずに、シリコンと入れ替えを終了しました。

 

ふりかえってみて

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再検査から半年は自分にとって、とても濃いものになりました。
その間父も亡くなりました。(母は今年一月に亡くなっていました)父が私の悪いものをあの世に持って行ったのではないか?とひとに言われたりもました。

 

いまや13人に1人が乳がんになる時代だと言われています。高齢になると遺伝性の乳がんばかりではありません。
私は、しこりとかになるずっと前の段階だったので、マンモグラフィーが非常に有効的でした。

 

もし、人間ドックを受けていなかったら、どうなっていたでしょう?
やはり、年に一度の検診はとても大事だと思います。

 

人間いつ死ぬかわからないですが、病気で死にたくなかったら、早期発見しかないのです。
それだけは声を大にして言いたいです。

 

がんになって自分を受け入れるのに時間が掛かりましたが、得るものもありました。
お酒もバカ飲みしなくなったので、身体に負担が掛からなくなりました。笑

 

あと、こうやってブログを書きだしたのも、初めの入院からなので、自分が発信することによって情報が必要な誰かに届けば良いなと思っています。

 

そして、がんになる前には自分が楽しければと思って生きてきたのですが、自分だけが楽しいのではなく、誰かの為に生きたいと思うようになりました。そこが変わったところです。

 

ですので、婚活サロンを開きました。前から婚活のお手伝いをしたいなと思っていたのですが、思うだけなら誰でも出来ます。実際に行動に移せるかが大事ですから。な~んて

 

www.lyla-pc.com

 

職場の皆さんにも、休みの間ご迷惑をお掛けしたことを本当に申し訳なく思うと共に、とても感謝しています。
控除が無くなるだの、扶養から外れるなどのイラつくニュースを横目にもっともっと働かなきゃと思います!!

 

働けるということは幸せです。これ以上の幸せはないと思います。
これからも、仕事、子育て、婚活活動に力を注いで行きたいと思います。